初めて聴いた音楽は、たぶん賛美歌。両親がクリスチャンだった為、幼少時代は母親に連れられ教会に通ってた。特に珍しい事ではないが幼稚園もキリスト教の幼稚園だった。教会独特のオルガンの音とか、豪快なハモリは今でも何だか安心する懐かしい音だ。

実家の隣がピアノ教室で姉が習いに行っていたり、幼馴染がピアノやエレクトーンをやっていたので自然と音楽に触れる機会は多かったものの、自分から興味を持つには至らず。

5歳年上の兄の影響で小学校低学年でThe Beatlesを聴く。メンバーの名前も歌詞の意味も全く解らないまま何だか気に入ってラジカセに入れてもらって学校の登下校時に歌いながら歩いてた。

ソウルオリンピック?の時だったか、親がBSを我が家に投入。ウッドストック、ソウルトレイン、エドサリバンショーなんかの再放送を見て小学生ながら衝撃を受ける。後の聴く音楽のベーシックになる。
特には Richie Havens、Joe Cocker、Janis Joplin、Sly & the family stone、Al Green、The Beatles、The Rolling Stonesなどの方々には大きな衝撃を受けました。お年玉とかは、とにかくCDに使った。

小学校高学年ではTHE BLUE HEARTS 、UNICORN、KATZE、筋肉少女隊、これまた兄の影響で邦楽も聴くようになる。

中学校ではLenny Kravitz、RED HOT CHILI PEPPERS、Sheryl Crow、Ben Harper、G. Love & Special Sauce、Lisa Loeb、等にのめり込む。毎晩ヘッドフォンをして爆音で聴きながら熱唱してました(笑) 親にしてみれば迷惑だった様…。
当時兄に教えてもらいベースを始めるも、手が小さくて教えてもらった基本が難しくてすぐ断念。レッチリのチョッパーベースばかり練習してた…。今でもBass弾くのは得意じゃないけど。
で、ギター弾いてコード少し覚えたくらいでした。

高校入学する前に訳あって一年間のプー太郎生活。周りの友人達がHIPHOP等にのめり込む中、ろくに楽器も弾けないのに歌詞だ、とか言って詩を沢山書いてた。(どこにやってしまったか不明)

新潟の高校に入学してから、やっと少しギターを弾けるようになる。当時、周りで流行ってたのはゆず、19とかだったかな?僕は山崎正義、スガシカオ、斉藤和義、奥田民生あたりの方々が好きで、たどたどしく弾き語れる程度だったかしら。。
地元の仲良し仲間達も音楽好きで兄と弾き語り練習したりしているとの事で連休や長期休みには秋田に帰って近所の子吉川って川の堤防の東屋でバーベキューしながら歌って遊んだりしていた。「子吉川弾き語り愛好会の集い」ってダサダサなネーミングで数回イベントもやったりしました。通称『子弾き』(コヒキ)
人の曲をコピーして弾き語りしてみて「良い曲だね!」って言われても、「自分で作ったわけじゃないしなぁ〜」って事で高校時代にオリジナルを作り始める。当時はバスケット部を怪我して辞めて、美術部に入って放課後はたまに作品作って、大抵は美術室でギター弾いている美術部の部長でした。出来れば美大に進んで彫刻・彫塑の方面を勉強してみたい気持ちだったのだが、「やっぱり粘土は人に習ってやりたくない」(本当は評定平均が足りなくて推薦してもらえなく、かと言って一般で入る学力も無いと気が付く…)
余談ですが高校の一年後輩に笹川美和ちゃんもいました!当時から素敵な雰囲気の女の子だった記憶がある。

とまぁ、その様な理由で美大は諦めて、興味がある音楽の学校に入ろうと仙台にある専門学校「デジタルアーツ仙台」に入学。
我が師となる「タラコ」こと元『阿Q』の「小野寺明敏」に出会い、多大な影響を与えられる。音楽はもちろん、考え方、生き方、様々な面で尊重してくれて、その後の音楽活動、プライベートでも仲良く?僕にとっての一つの物差しと言うか、師匠です。

デジタルアーツ時代の同期にはナイトメアのギターのサキト君もいたし、1年後輩にはサザーランド、ラムランプ、バヤラトと現在も活躍中の同期生達がいます!
もう、仙台では沢山の人にお世話になって、音楽仲間にも恵まれ、自分にとっての音楽の位置付けが変わって行ったのも仙台で過ごした時間があったからだと思う。

2002年VictorのインディーレーベルAja RECORDESからマキシシングル『家族写真』をリリースしてから5年、時間はかかったけれど自分の中で音楽が成長し、脱皮し、成虫に近付いています。



石川コウの音楽のROOTS について。

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